international Art Manager

「International Arts Manager」というイギリスのアートニュースのサイトが有り、昨年にブログの寄稿依頼を受け文章を送って連絡を待っていましたが、なんと既に掲載されていたことを本日知りました。元は国際交流基金のサイトにアーチストインタビューで出させていただき、その掲載を見て今回の連絡がありました。いろんな事が繋がって、少しずつ前進させて頂いていることを感じます。

今回執筆にあたり、なぜ男性の路上生活者と踊るのか?日本の男性性は崩壊しているか?などの日本ではあまり受たことのない質問もあり、新たな視点で活動を見直す機会となりました。 英訳は小林央子(Yoko Kobayashi-Baker)さんとSteve Bakerさんに、多大に協力をして頂きました。いつもありがとうございます。活動に関わっていただいている皆さんに改めて感謝をいたします。

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<日本語>

私、アオキ裕キはダンサー、振付家として、2007年より路上生活経験の方たちと共に作品を創り「SOKERISSA!」という芸術活動を行っています。 2014年現在、舞台作品は5作品、パフォーマンスなど合わせ出演数は約40回になります。当初は自主公演が主でしたが近年では十和田市現代美館や、大野一雄フェスティバルなどに出演をさせていただいています。 私が目指し続けてきたのは、芸術活動です。当初では社会運動としての活動と思われることが多かったのですが、メンバーの踊りはさまざまな可能性を併せ持つ芸術と捉えています。 活動はもちろん路上生活者をスカウトするところから始めました。

路上での暮らしは圧倒的に男性が多く見受けられました。私の見る限り東京においては、女性の路上暮らしの方は少なく、たまに見かけても話ができる精神状態でなかったなどということはありました。路上に寝る場合、人通りのある場所、または何人か他の路上生活者のいる中での状況がほとんどです。それは暴行やいたずらを避けて、身を守る術だと聞いたことがあります。路上で眠ることは力の弱い女性は恐怖に苛まれてしまうのではないのでしょうか。踊るということは、人前に立ち自身は路上生活者だと現状をさらけ出す事になります。当初集まったのは比較的路上生活期間が短い方、もしくは精神面での余裕がある方などの傾向がありました。しかしいずれは、活動の芸術性をさらに大きく認められ、社会的需要を得、参加者が路上生活を経験したことを肯定できる日が来たときには、それは他の社会的弱者が勇気を得るきっかけにはなるかも知れません、そうなればその時にはさまざまな状況の多数の路上生活者ともに、大ステージなどで踊ることも実現不可能ではない気がします。 さてスカウトに半年ほど費やし、その後ビッグイシューの協力を得、販売者の集まりに顔を出して声をかけるなど、環境は少しずつ進展しました。

メンバーが集まる一番のきっかけは、彼らの前で私が踊って見せた時です。私は、技術などはさておき、日常の動きや飛んだり転んだり巷にある踊りの概念を飛び越え自由気ままに動きました。 そして「私は今自由に動きました。あなたたちの自由を見せてください。」と、ひとこと言いました。そしてその時に来ていた6名が最初のメンバーとなりました。それは企画を思い立ち2年後のことでした。 その後出入りはあるものの参加者は途切れることなく続いています。 現在のメンバーは5名、平均年齢48歳、全員男性です。 お芝居経験者、水商売やガードマン。アパレル業、土木作業員、幼くして家族と離れ、満足な教育を受けられず、そのまま社会に適合できなくなった方など路上に至った過去はそれぞれです。

いずれはメンバーと共に日本のみならず海外での活動を目指しています。 エジンバラのフリンジに参加できると最高です。さまざまな芸術が集まる機会において各国の観客は、日本で「生きる」我々の身体から見える芸術性をどう捉えるのかとても興味があります。 また海外の発展途上の地域において貧困者の前で踊った時に、その景色から何が見えるのか、メンバーの中に生まれるものは何か、またその映像を見た先進国の人間は何を感じるのか、それは私がこの活動を行う理由が分かる瞬間なのかもしれません。

私は人間として、原始時代のような生きる為に狩りをする身体に惹かれます。 その感覚は生きるために洗練され、筋肉には必然があり、日々生き抜き、種を存続する事に強く傾倒していたはずだったでしょう。そのDNAは現代に生きる男性の中には今も残されていると感じています。しかし現代の日本のように物があふれ、食べるものにも困らず 狩りをする必要がない状況において、そのDNAはもはや方向性を見失っています。その矛先は身に危険を及ぼさない弱者攻撃、過剰な食物搾取による環境破壊、体と心の分裂、感覚の鈍化など、生きる必然性を見失ったストレスが蔓延していると言って過言ではない状況だと言えます。 男性が弱くても生きることができてしまうこの国において、はたして男である意義とは・・、私はシンプルな生きるからだを再確認する必要性を模索し、その一端がこの活動へと繋がっているのではないかと感じます。

http://www.internationalartsmanager.com/2014/06/teaching-tokyos-homeless-dance/

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